LOGIN屋台の大盛禁止。任意の追加料金をいただくこと。不明点は榊修治まで。
妙な威圧感のある張り紙が台所と食堂に張り出された。
祭りの前日は毎年とても忙しい。数日前から屋台で使う粉や景品の類が普段は使っていない倉庫を埋めはじめ、テント設営の準備のために経年劣化のチェックから始まり、前日の夜は食品屋台用の仕込みが夜まで続く。台所だけでは狭く、黒瀬家の食堂まではみ出した仕込み隊が焼きそば用、お好み焼き用などに分けて大量のキャベツを刻んで袋に分類し、朝までは冷蔵庫で保管し、当日は大量のクーラーボックスに詰められる。その他にも、食べ物ごとに分類された食材。卵や紅生姜、天かす、青のりなど。フランクフルトやホットドッグなどはまだ手がかからないらしい。今年はフルーツ飴を新しくやるので、八百屋から大量に仕入れたパインをカットする作業も増えた。律が店番をする型抜きはまだやることが格段に少なく、前日でも大きな作業はない。型抜き自体は事前に昨年より三割ほど多い量を発注して数の確認は済んでいる。使うブラシや押しピンなどの道具は毎年使い回しで不足分がないかチェックするだけでいい。型抜き成功者には“賞金”が与えられるので、景品の管理も必要ない。
神輿担ぎに駆り出される蓮は毎年、前日には若い衆に混ざってキャベツ切りを手伝っている。
自分の担当する準備が終わると、律は台所からまな板と包丁を持ってきて食堂でキャベツを刻んでいる蓮の隣に腰を下ろした。
「蓮、僕も手伝うから半分ちょうだい」
「律の準備、終わたん?」
「うん。だから、手伝いに来た」
そんな言葉を交わしていると、座卓の向かいから「若」と声を掛けられた。
「若、手伝ってくれんなら、こっちの焼きそばのキャベツ切ってくんねっすか? 蓮のやつ、高速千切りしてっから危ねっすよ」
「うん?」
高速千切りとは、と思いながら律が蓮のまな板に目を向けると、さっき普段と同じ喋り方をしていたのに手元だけは物凄い速さでキャベツの千切りを刻んでいる。しかも、雑ではなく一定間隔のきれいな千切り。普段、蓮が台所に立つところなどないのに。
「ねえ。蓮、それってどうやったらできるようになったの?」
「えー? なんとなく? タイムアタック系っぽいの楽しいじゃん」
なにも理屈がわからない、と律は追及を諦めて座卓の向かい側に顔を戻した。
「うん。そっちやる。焼きそばの方。切ったのいれる袋、こっち?」
「そっす。あー……タイムアタックしなくていいっすからね」
「しないよ」
キャベツを受け取りながら忠告してくる若い男に、律は苦笑した。ざく切りにするくらいはできるが、日常的に包丁を持たない律が蓮と同じことは確実にできない。蓮ができているのは元が器用だからだろう。
食品を扱っている分、作業中は雑談をしない。廊下を行き来している男たちの声は威勢がいいが、台所と食堂の仕込み隊は静かだ。ひたすらキャベツを刻む包丁の音。廊下のざわめき。例祭の二日間とその前日だけは毎日食事をする黒瀬家の食堂が修羅場になる。
「そろそろ十時過ぎますよ。テント設営班はもう寝てください。朝五時起きですからね」
祭りの実務を取り仕切る修治が仕込み隊の様子伺いがてら、手伝いで仕込みに参加している者に声をかけにきた。恐らくすべてのタイムスケジュールを把握しているのは修治だけだろう。
「あと、若と蓮ももう大丈夫です。子どもは寝てください」
「いつまでもガキ扱いすんなよな!」
「もう来年は高校卒業するんだけどね」
修治の言葉にそれぞれ異論を唱えたが「まだ未成年の内は子どもです」と一蹴された。蓮はまだなにか言いたそうだったが、律がその前にまな板の上の切り終わったキャベツを袋につめて片付け始めると蓮も口を噤んだ。
「少ししか手伝えなくてごめんね」
「いーんすよ。あざっす」
切りかけのキャベツを向かいの男に渡すと、人懐っこい笑顔を返された。
律と蓮が台所にまな板と包丁を返しに行こうとしたところで、ふと思い出したように修治に付け加えられた。
「若は明日、朝食が済んだら竜一さんの所へ」
「あー……うん」
少し考えてから納得して律は返事し、台所に寄ってから離れに引き上げる。
*****
「親父さ、今年も律に浴衣着せるパターンじゃん。アレ」
離れの蓮の部屋に落ち着くと、蓮が笑いを堪えない雰囲気で言ってきた。
「そうだね」
「律は嫌なん?」
「嫌じゃないけど」
「じゃ、なんで難しそーな顔してんの」
ひょいと覗き込まれて、そんな顔になっていたのかと律は自覚した。父は祭りの日に律に浴衣を着せる。まだ小さな頃は蓮も同じように浴衣を着せられていて、祭りで見る子どもたちも似たように浴衣姿の子どももいて無条件にそんなものなのだろうと思っていた。けれど、蓮が神輿を担ぐようになってからは浴衣を着るのは律だけになった。
そんな些細なことが気になるのか、もっと違うなにかが気になるのか律には判然としない。
「んー……うまく言えないんだけど、浴衣が嫌なんじゃないよ」
「いいじゃん。浴衣美人」
屈託なく笑う蓮に言われると、律の肩の力が抜ける。
「美人は違うんじゃないの?」
「そ? 俺、好きだよ。律の浴衣。……なんかめっちゃちっちゃい頃さー、祭りん時に律みたいな浴衣美人に会った……と思う」
ふと蓮が珍しく、律と出会う前の話をした。
「僕に似た浴衣美人? それは女の人なの?」
自分に似た、と言われ先に律は首を傾げた。蓮ほど筋肉質ではなくても律も男で少なくとも女性に間違われたことはない。
「女の人。でも律に似てた気がする。雰囲気? かーちゃんが挨拶しなさいって言うから挨拶したら元気ないい子ねって言われた。元気な強い子ねってさー。なんかわかんないけど、覚えてる。俺、それまでさー、強いって悪いことだと思ってたんよなー」
「え? なんで?」
初めて聞く蓮の話につい律は条件反射で聞き返した。強いことが悪いというのは、単純に律にとって違和感だったのだ。蓮が律の目を見返して、少し笑ったかと思うとだらりと律の肩に体を預けてきた。
「チチオヤ──っつか、そんな風に思ったことねーけど。がさ、クソ野郎でさ、かーちゃん殴るし金毟ってくし……そんなんだったから?」
そんなことは誰も言ってくれなかった。
蓮が父に連れてこられた経緯は律も知っている。母親が亡くなって身寄りがないと簡単に説明された。けれど、それ以上のことを律は知らなかった。ぎゅ、と胸が締め付けられるように痛む。律はそんな風に誰かから理不尽に手を上げられたことがない。
「別にいまはへーきだよ。律も親父も修治も、兄貴もいっぱいいるしー。強いのが悪いってのは俺がガキで、悪い手本しか知らんかっただけだし」
「れん」
「あのさー、律。俺、かわいそーな子じゃねーかんな? そんな風に思ったらぶっ飛ばすよ? たださ、俺は律の浴衣見たら、そん時の浴衣美人思い出すってだけ」
緩い口調で簡単な同情を封じられると、律はなにも言えなくなってしまい、蓮が寄りかかっている方の手を伸ばしてぎゅ、と握った。蓮は喧嘩っ早く、律より先に怒ってしまう。それを短気で直情的だけで片付けてしまうのは違うのだ。
「やっぱ、蓮はさ。かっこいいよ」
ぽつりと律は呟いた。ふはっ、と蓮は笑う。
祭りの前夜の母屋はまだ騒がしく、明日の朝は早い。なのに、離れだけ切り離されたように静かで縁側の風鈴が時々鳴る。
律の知らない蓮に思いがけず触れてしまって、気持ちがさざめいている。互いの全部を知っている訳ではないことが当然なのに律を揺らす。けれど、それを開示した蓮の方が簡単な言葉を禁じ、なんでもない顔をしている。
明日、袖を通す浴衣は去年とは心持ちが違うかもしれない、とそんなことを考えながら律は蓮の大きな手を握っていた。
修治に相談した足でそのまま父に進路を決めたことを告げた後、律は父に茶化される前に早々に一度離れの自室にノートを戻し、食堂へと戻った。食堂では今日も何人かの子どもたちが集まって賑やかにしている。その中に混ざった蓮が一番騒がしい。そんな姿を見て、律はほっとした。──このままいて欲しい。起点が蓮だとしても、律の願いは案外シンプルなのだ。だからこそ、難しくもある。***** 夕食を終えて律と蓮が離れに引き上げ、蓮の部屋に落ち着く前に律は自室から昼間に修治と父に見せたノートを取ってきた。律が蓮に自分の気持ちを伝えるのはまだ早いと止めていた理由はほとんど解消した。高校卒業後の進路の確定。家業を継ぐことへの意思表示。その上で自分がしたいと思っていることの主張。 大学進学に関しては、最初から一時的な現実逃避にしかならないと考えていた。いずれ、家業は継がなければならない。暴力団という組織に与えられた一般的イメージから律の嫌悪は生まれたが、春から夏にかけて色々なことがあり、いままで律が気付いていなかった面を垣間見、考えることができた。蓮の過去に関しては、正直なところもっと穏やかな形で知りたかったと思わなくもないが、律自身が迷い、間違いを繰り返しながら関係を修復できたことは律の進路に対する方向性を決定づける要因の根源となったことは間違いない。蓮が進路のことを訊いても「律の行くところ」と迷いもなくすんなり答えるのと、律が散々考え抜いて決めた挙句に出した答えが似たり寄ったりなことに関しては性質の違い上仕方ないのだが、結果的には律にはその回り道が必要だったのだ。「蓮。考え事、終わった」 並んで座って、ぺたりと蓮に寄りかかったまま律は率直に言って、手にしていたノートを蓮の膝の上に置いた。この先、律がどうしたいかがそのノートには全て書かれている。もちろん、蓮にも知って欲しいと思ったのだ。元々、律は蓮に隠し事をしない。考え事をしている時だけ、頭の中の整理を兼ねてノートに散々書き散らし、終わるとノート自体は隠す気もない。蓮もどこか律が考え事を纏めたノートを見ることを楽しみにしている節がある。「んー?」 膝の上に置かれたノートをぱらりとめくる蓮に、律は恥ずかしさを感じ並んだ体の向きを変えた。少しだけ蓮に寄りかかっている面が背中に移る。「りーつー。いままでで最高のびっしり度なんじゃね?
うーん、と唸りながら律は蓮の部屋のベッドでうつ伏せになってノートにメモ書きをしながら頭を悩ませていた。 蓮はオンラインゲームのレイド戦の真っ最中で、ボイスチャットをオンにしたまま時々スラング英語で喚いている。鼻歌を歌う時といい、オンラインゲームのボイスチャットといい、なぜか蓮は学校の英語の成績がいい訳ではないのに発音はきれいだしコミュニケーションも取れてしまう。ぱたりと顔をノートに伏せて律は賑やかにしている蓮の声を聞く。「Incoming! I got him!! Aaaaaah!!」 深夜帯のオンラインゲームになると野良でレイドバトルに参加し、臆面もなくすんなりとその場限りのプレイヤーとボス戦を繰り返しては楽しそうにしている蓮の声を聞いていると、律は素直に凄いなと思う。恐らく武道と同じで文法や単語よりも体感で覚えて実践でなんとかなってしまうタイプなのだ。英語の発音がいいのは蓮の母親が英語の歌を歌って聞かせていた影響もあるかもしれない。「let's gooo!! gg ez!」 ふふん、と得意げにしている声を聞くに、蓮はボスを仕留めたらしい。 ようやく律は突っ伏していた顔を上げた。蓮が好きなゲームの画面を見ていると、律は時々画面酔いをしてしまい気持ち悪くなり、できるだけ見ないようにしている。「蓮、今日もお手柄?」「もちろーん」 ベッドの上から律が声をかけると、蓮が律を振り返って上機嫌で返事する。戦闘終了画面のまま両手に持っていたコントローラを手放して、ベッドにぺたりと寄りかかる蓮に律は片手を伸ばして茶色い癖っ毛をわしゃわしゃと撫でる。……本当に大型犬だったらどうしよう、などと律はふと笑う。ゲームのボス戦で手柄を立てたから偉いでしょ。だから撫でて。返事したときの蓮がそんな風に律を振り返ったように思えたのだ。「蓮ってさ、警戒心とかある?」 ふと律が蓮を撫でながら訊くと「あるよー」と全く警戒心を感じさせない緩い声が返ってきた。言葉と声音が一致していなくて思わず律は本当か? と疑いそうになる。「もし仮に、僕がこうやって蓮のこと撫でたまま、いきなり殴ったりとか……考えたことないの」「ない。律はそんなことしないもん」 きっぱりと言い切られてしまうと律はなにも言い返せなくなり、蓮を引き寄せて両手でぎゅっと抱いた。「うん。しないよ」 どうしてそん
夏休みの間、律は普段より長い間起床後、離れの縁側で考え事をし、その後は蓮を起こして朝食の後は休みだというのに昼間黒瀬家に入り浸る子どもたちと一緒に過ごすことが多い。時々、蓮と二人で町中華を食べに行ったり買い物をしたりと出かけもする。 子どもたちと言っても小学生から上は律と蓮と同じく高校生まで幅が広い。中学生や高校生ともなると言うこともほぼ同年代のレベルになるが、学校のクラスメイトだと女子を律から遠ざける蓮はなぜか黒瀬家に入り浸る不登校児には威嚇しない。むしろ不思議なくらい馴染んで一緒にはしゃいですらいる。 夏休みの間、黒瀬家に入り浸る子どもたちは顔ぶれがくるくると入れ替わるが、中に律が知っている中で毎日くる子がいた。まだ小学校中学年か高学年かの痩せた女の子。無口で、あまり誰とも喋らず、いつも隅で膝を抱えて静かに本を読んでいる。普段の律は学校に行っている間に子どもたちが帰ってしまうため、事情に詳しくないが、なぜかその子どもが気になっていた。 盆が終わり、八月も下旬に差し掛かったある日。珍しく昼間黒瀬家の食堂で賑やかしく遊ぶ子どもが少なく、年齢もばらばらな子が五人ほどしかいなかった。そして、その日もその痩せた女の子は部屋の隅で本を読んでいた。他には同じく小学生が二人、中学生と高校生が一人ずつ。中学生と高校生は両方とも女の子で話に熱中しており、二人の小学生は蓮が一緒に庭で遊んでいた。 律は痩せた女の子がどうしても気になり、そっと近づいてしゃがみこんだ。「ねえ、隣にいてもいいかな」 怖がらせないように、と内心びくびくしながら律は女の子に声をかけた。祭りの屋台に遊びに来る子どもたちとは雰囲気が違う。無邪気な人懐っこさがなく、子どもに慣れている律でも慎重になってしまう。いつも一人で部屋の隅で一人で本を読んでいて、無口で、ほとんど誰とも喋らないのに毎日来る子ども。どこか矛盾を感じる。 女の子は顔を上げてこくりと頷いて、また視線を本に移した。一瞬だけあった目が、子どもなのに無気力で律はぞくりとする。その目を律は知っている。律と父が蓮に怒鳴り散らし、傷を抉ってしまった時の虚ろさに似ていた。 隣に座り込んだはいいが、律はどう彼女に話しかけていいのか会話の糸口が見つからない。女の子は律がいることには頷いたが、そのまま本を読んでいて話をする意思はなさそうだ。無理に話しか
蓮が安静を言い渡された一週間はあっという間に過ぎて、その後の検査でも異常はなく、晴れて自由の身となり律はほっとした。家出騒ぎ──なのか、逃走劇か──の後、数日間だけ蓮の様子はぎこちなかったが、揶揄いこそするものの誰も蓮を責めなかったのもあってか、安静中の一週間のうちに普段の調子に戻っていた。ただ、ひとつだけ蓮には不満が残った。週末の朝稽古で許可が出るまで先制を封じられたのだ。手合わせの際に癖で先制攻撃をしてしまった場合、稽古後の道場の床掃除がペナルティ。「りーつー……先制禁止とかもうキッツイんだけどー!」 二週目の朝稽古の後、蓮は勢いよくモップを手に走り回りながら文句を言ってきた。「んー、それはさあ、蓮の自業自得? だよね。間が悪かったとはいえさ。ちゃんと反撃も防御もできるのにしなかったから。あー。あと、蓮ってさ、手合わせだと先制取って相手を自分のペースに巻き込むじゃん。だから、みんなからしたら先制禁止にしないと、蓮に反撃と防御を叩き込めないって言うか……」 ペナルティの床掃除中の蓮に向かって律は考えながら返事した。掃除中の蓮の邪魔にならないよう、律は道場の入り口のところで戸口に背を預けている。蓮が早く掃除を終わらそうとモップがけをしながら「ええー!」と抗議を示した。「僕はあまりそういうのわかんないけど、何度もそういう条件でやってたら体が覚えるっていうじゃん。付け焼刃かもしんないけど、蓮に同じ目にあってほしくないんだよ」「……」 基礎の部分だけ習得した後は向いていないからとやめてしまった律に言われた蓮は無言になった。優劣の問題ではなく、そもそも先制を封じられた理由を蓮自身も自覚しているからだろう。 なにも考えてなかった、と父に説教された時に答えた言葉は間違いなく蓮の本心だ。それだけ自暴自棄になった蓮には危害に対する防御も反撃も無意味になってしまうことが既に立証済みなのだから、先制を封じて反撃と防御を叩き込もうとしているのだろう。元々、運動神経も反射神経も優れていて飲み込みが早かった分、ここまでゲームのように得意な部分だけを楽しむように伸ばしてきた蓮が不服に感じるのは仕方ない。「じゃあさ、蓮。僕と一本やってみる?」 ふと律が思いついて言うと、モップを掛けて走り回っていた蓮がぴたりと止まった。「は? マジ言ってんの?」「嘘ついてどうすんの」
朝になって蓮は院長から簡単な問診を受けると、帰宅の許可が下りた。その後、修治が蓮の着替えを持ってきた。普段と変わらない様子で着替えの入った袋を渡し「準備ができたら帰りますよ」とだけ言った修治に、蓮は少し迷ったように俯いて唇を噛んでいたが、思い切ったのか勢いよく頭を上げた。「修治! 昨日は……ごめん」 バツの悪そうな顔をしている蓮を振り返った修治は、顔色一つ変えずにあっさりと返事した。「私は仕事を遂行しただけです。謝罪する相手が違うでしょう、蓮」 それだけ言い残して修治は病室を出ていった。恐らく、廊下で蓮の帰り支度を待っているだろう。「……修治、こえー……」 受け取った袋を抱えて蓮はぐったりとへたりこんだ。律は蓮の様子に笑いそうになってしまう。いままでも、律や蓮が一般的に叱られるようなことをしても修治は一切の謝罪を受け取らない。窘められることはあっても「ごめんなさい」を受け入れてもらえない。蓮も修治の態度にはなれているはずだが、今回はさすがに近くで修治の実務を見ていた分、律は少しだけ修治も根に持っているだろうなと邪推してしまう。「ほら、蓮。着替えて帰ろ」「帰ったら、親父にも説教されんだろ? いーやーだー……」「連も、ちゃんと父さんに言ったらいいよ。僕に言ったのと同じこと。父さんだって理由もなく頭ごなしにお説教しないし」 律がフォローのつもりで蓮を促すと、ベッドに座ってぐったりとしていた蓮が恨みがましそうな目で見上げてきた。「それさー、俺がなんか言っても火に油じゃん? バカか、って言われて余計説長くなんじゃん」 それも確かにそうだ、と律は思ったが、口にした言葉は違った。「でもさ、やっぱ言った方がいいんじゃないかな。僕は蓮がちゃんと話してくれたから納得したし、いま蓮がまだ少し怖がってんじゃないかなって思うけど、言わないとわかんないよ。父さんなんてただでさえ勢いだけで生きてるような人なんだから、話さないと伝わんないよ。だから、親子喧嘩、すればいいじゃん」 ふふ、と律は笑う。律は蓮の本当の父親を知らない。知りたいとも思わないが、六歳から一緒に育って蓮の方がよほど父の子と言われても不思議ではないほど似ているところがあると思う。直情的で勢い任せなところ、声が大きいところ、不器用なところ。上げたらきりがない。修治の言うように、蓮が母親似の部分はたくさ
蓮は病室で病衣に着替えさせられて眠っていた。着ていたものは丁寧に畳まれているが、血痕や汚れが酷く律は思わず目を背けた。備え付けの簡素な椅子をベッドの脇に引き寄せ、消灯後の暗い病室に読書灯だけが灯る中で腰を下ろしてしばらくじっと蓮の寝顔を見ていた。 体の至る所に包帯やガーゼの処置さえなければ、いつもと同じく眠っているように見える。痛みに苦しんでいる様子も、悪夢にうなされている様子もない。──でも、蓮は目を覚ましたらどんな反応をするだろう? 律にはそれが気がかりだ。 父は荒い気性ゆえに蓮を殴って目を覚まさせろだなどと言う。律にも今回ばかりは一発くらいは殴ってしまいたい気持ちはある。けれど、生来の乱暴を好まない性質と、いまだ自責してしまう不器用さが簡単に手を上げる判断に至らない。そもそも、殴るという暴力を行使してもなんの解決にもならない。状態の悪化すら考えられる。好きなのに、手を上げるなんておかしい。 ふと、思いついて律は蓮の片手を布団からそっと出すと、背中を丸めて両手で包んだ。 まだ、蓮が黒瀬家に引き取られたばかりの頃、よく手を繋いだまま同じ布団で眠っていた。一人寝に慣れていないのは蓮の方だったのだ。六歳とはいえ母を亡くしたばかりで、表面上の悲壮感は薄かったが、夜になると寂しさで押し潰されそうになり「りつ……」と枕を抱えて布団に潜り込んできていた。そんなことを律は思い出した。 家の者たちから追いかけられ、逃げ回った蓮の本意はわからない。だが、蓮は大きな勘違いをしたままだということだけは確かだ。自分に対して疑心暗鬼のまま。その内側は不安と寂しさに満ちているのだろう。蓮はもう、律を受け入れないかもしれないが、律にも譲れない気持ちがある。だから、目が覚めるまででも伝う温度が少しでも蓮の心を癒せばいい。「蓮が、怖くない場所を僕が作れたら、まだここにいてくれるかな」 ぽつりと律は呟く。 暗い病室で読書灯だけが頼りの中、呟いた声はやけに大きく響いたように感じた。頼りない明かりに浮かぶ蓮は眠ったままで律の独り言には返事をしない。 ──優しい場所。そんな風に律は初めて自分の家のことを認識した。粗暴さはあっても、理不尽な暴力はない。蓮が出て行くといって飛び出したと知れば、理由など聞く前に誰もが探すことに必死になる。困っている、弱い立場の人間に無尽蔵に手を伸ばしてしま